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【連載】10兆円産業化を目指すドラッグストア今昔物語⑫

AJDの二代目本部長として薬業界の発展に寄与した

サンキュードラッグ創業者の平野清治さん、その3

 

本部に記者を集めJANコードの勉強会

「記者の皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

AJDの初代本部長の石橋幸路さんに替り二代目本部長に就任した平野さんは、ある日、東京・中央区の三越デパートの真ん前にあった本部に集まった記者たちに、こう語った。

「通産省(現経産省)が進めるPOS(販売時点情報管理)の導入には、商品にバーコード(JANコード)が貼付されていなければならない。そのためには、メーカーの方々に全面的にご協力をお願いしたい」

この日、バーコードの仕組みやPOSシステムについて詳細な説明をされたのが、当時、財団法人流通システム開発センターで活躍されていた佐藤聖さん(現一般財団法人日本ヘルスケア協会常務理事)だ。

私にとってJANコードは初めて聞く名称で、佐藤さんの講義を聞くだけだったが、平野さんは、「AJDが率先してPOSシステム導入に取り組む」と宣言し、薬業界に採用を呼び掛けたのだ。

「すでに食品業界など導入されている業界は多い」ことを知ったが、医薬品小売業界では採用されていなかった。平野さんの呼びかけに、製薬メーカーなどが即対応したことで、売れ筋商品の把握ができるPOSシステムは、医薬品小売業界、とくに大型店にスムーズに定着していった。

 

1974年にSM+DgSとのコンビネーションストア1号店

AJDが海外商品の発掘と輸入業務を行うAJD開発株式会社がデビューしたのは、AJD創設2年目の1972年。

「AJDは、新時代への対応へチェーン運営に活用できるモデル店をつくるべきではないか。そこで2週間かけてマルゼンの石橋幸路氏と千葉薬品の齋藤茂昭氏らとアメリカを視察し、将来、大型店舗を展開する時代が必ず来るだろう。われわれもやるべきだと語り合いました」

1974年、千葉市作草部に千葉薬品のSM(スーパーマーケット)とDgS(ドラッグストア)とをコンビネーションさせたAJDのモデル1号店がお目見えした。

店舗のスペースは確か1000坪だったと記憶している。わが国初のコンビネーションストアは、1階が店舗部分、2階は駐車スペース。千葉薬品が運営するSMをDgSに融合させた店舗で、連日、多くの買い物客で賑っていた。

このモデル店では、商品構成や販促活動、人財教育等々、さまざまな実験結果が会員企業に提供された。平野さんの発案で1981年に宮崎で初のチェーン総会ところで、この6月にAJDの全国大会(かつてはチェーン総会)が開催される。例年、その年のビジョンが明らかにされる大切な行事だ。

実は、このチェーン総会(現全国大会)の開催を発案したのは、AJDの二代目本部長に就任した平野さんだった。第1回目のチェーン総会は、1981年1月20日、宮崎市内のホテルフェニックスで行われ、さらなる成長を期してPB商品の拡充と人財教育の必要性を会員企業に訴えた。

総会後のパネルディスカッションでは、現AJD本部長の杉山貞之さん(スギヤマ薬品)の父、杉山貞男さんを司会に、パネラーには三代目本部長の下川亘さん(下川薬品)、四代目本部長の石田健二さん(ハックイシダ創業者)、六代目本部長の関口信行さん(龍生堂本店・後に日本チェーンドラッグストア協会会長)といった錚々たるメンバーが登壇。それぞれの立場から、自店の運営を通じ、AJD、医薬品小売業が歩む未来像を語った光景は、38年後の今も私の瞼に焼き付いている。

 

二代目経営者の健二さんが受け継いだ創業者の「志」

『蒼氓の詩』と題した1冊の書がある。サンキュードラッグの創業50周年を記念して発行された。「私は門司生まれの門司育ちの悪童である」の書き出しで始まる物語は、いわば平野さんの自叙伝だ。

平野さんは、1928年10月2日に門司の鎮静橋から堀川に通じるバナナ問屋が立ち並ぶ、せり市場の事務所で産声を上げた。

「父親が、盲腸から腹膜炎を発症し7人の子供を残して急逝。母は、病に侵されながらも子育てと仕事におわれ、私が学生時代には学費を稼ぐために働き詰めの毎日でした」

母との思い出を話される平野さんの目には涙があふれていた。子供の頃のこと、特攻操縦要員として海軍航空隊冨高基地に配属された地で、1,000名を越す犠牲者を見送った戦時中の体験、さらに学生時代の情熱、優しかった母との別れ、平野薬局の創業時代等々。

「いろいろなことに遭遇し、人間として、いかにあるべきか、困苦に打ち勝つためにはどうしたらよいか根性が養われたと思います」

これまでを振り返り、「今後、激動期の薬業界にあって粘り強く困難に立ち向かう気持ちを忘れてはならないことを、これからの世代に託したい」と話していた平野清治さんは、2013年2月、85歳で永眠された。

先立たれた友のことを話すたびに、涙でくしゃくしゃになった平野さんの顔、いつも私に優しく微笑みかけ、人間として経営者としての心構えを学ばせていただいた平野さんの笑顔が、今もって忘れられない。

サンキュードラッグを託された平野健二さんは、スタッフを自社の財産として大切にしてきた先代社長の『志』を受け継ぎ、人財の養成に取り組んでいる。1956年の創業以来、63年後の今、73店舗、280億円企業に成長したサンキュードラッグ。地域密着型のDgSと調剤薬局のチェーン店を運営し、北九州、下関を中心としたドミナント戦略をかたくなに守り、先代が医薬品小売業の将来を見据え強化した調剤ビジネスへ、さらにチャレンジする。(流通ジャーナリスト・山本武道)

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