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【連載】10兆円産業化目指すドラッグストアの今昔物語⑪

サンキュードラッグ創業者の平野清治さん、その2

“忘れ得ぬ友”、千葉薬品の齋藤茂昭さんとの交流

平野清治さん

インシュリン注射をして血糖値が正常に戻った平野さんは、突然、こんなことを話された。「齋藤さんは今、どうされているかな~」。齋藤さんとは、千葉薬品の創業者の齋藤茂昭さんだ。「電話に出られるかどうかわかりませんが、連絡してみましょう」さっそく齋藤さんに連絡したところ、平野さんからの連絡を待っていたかのように「はい、齋藤です」いつもの声が聞こえてきた。「もしもし齋藤さんですか。山本武道です。今、北九州の平野さんのご自宅におじゃましているのですが・・・」「そうなんだ。実は明日、平野さんのお宅に行く予定をしていて、ご都合をお聞きするため電話をしようと思っていたところなんですよ」以心伝心とは、このことをいうのだろう。

平野さんは、しばし齋藤さんと話をされ、やがて大きな笑い声が聞こえてきた。実は、千葉市内の齋藤さん宅には何度もお邪魔していたが、ある日、お誘いを受けて杯を交わしていたときだった。たまたまAJD立ち上げの思い出をお聞きしていたときだった。「平野さんは、お元気かな」齋藤さんは電話をしたところ、いつもは忙しくされている平野さんが、まるで齋藤さんからの連絡を待ちこがれていたかのように、即電話口にでられたのだった。千葉と北九州。遠く離れてはいても、電話で話すことは、いつもAJD時代のことばかり。互いに“一期一会”を大切していたことがわかる。

私が、初めてお二人に出会ったのは、1969年、AJDが結成される1年前。記者として第一歩を踏み出したときだ。かつては、地元で小さな薬局だったが、1970年のスタートを機に、経営するドラッグストアは、みるみるうちに急成長していった。することなすこと、時代の先端を歩いて、いや駆け足で商圏を広げていったお二人が、次世代経営者にバトンをタッチしたドラッグストアは医薬品小売業に革命を起こしていったのだ。

 

VCに加盟後、処方箋ビジネスに取り組み成功

ところで、北九州市門司区栄町銀天街へ1956年に創業した平野薬局が2店舗目を出店したのは6年後(さかえや)。翌年(1963年)に中津薬品、AJD結成前年の1969年に3店舗が開店し、本店を含め5店舗になった。AJDの旗揚げを契機に、地域に親しまれてきた平野薬局は、新たにサンキュードラッグとして驚異的な躍進が始まり、新しい業態を次々に誕生させていったのだ。

平野薬局の第1号店

1974年9月、診療報酬の改定によって医師の処方箋発行料が100円から5倍の500円となった、いわゆる“分業元年”に、サンキュードラッグは北九州市内へ調剤センターを設立。医療機関との協調路線に力を注ぎ、今もなお経営の柱としてサンキュードラッグを支えており、創業者の平野さんの戦略には間違いなかったのだ。平野さんの凄いところは、処方箋調剤ビジネスを強化するだけではなかった。1969年から寿司のフランチャイズチェーンを展開する企業が出現。瞬く間に全国展開が始まったビジネスにも目を向け、1979年にドラッグストアとして初めての寿司チェーン『けんちゃん寿司』とともに、うどん専門店の経営も手掛けるなど、エネルギッシュな店舗展開に取り組んでいった。(続く)

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