健康食品情報や機能性食品ビジネスの最新トレンドを配信

ARCHIVE
記事

【連載】10兆円産業化目指すドラッグストアの今昔物語⑩

AJD創設を生き甲斐に地元の生活者に“健康”を支えてきた

サンキュードラッグ創業者の平野清治さん、その1

 

「VCの役割は終わった」との声が近年、聞かれるようになったが、そんなことはない。その理由は、創設49年のAJDが、今もなお医薬品小売業最大のVCグループとして君臨、総年商1兆円(5300店舗)超を越し、会員企業の成長を支えているからだ。今回はAJDの二代目本部長として躍進に尽力する傍ら、生活者に“健康と美”を提供してきたサンキュードラッグ(北九州市門司区)創業者の平野清治さんを紹介する。

(記事=流通ジャーナリスト・山本武道)

11坪の薬局の開店資金を調達してくれた地元の経営者

平野清治さん

1955年、北九州市門司区栄町銀天街に、薬局を開業しようとしていた青年がいた。開局するまでに、いろいろと計画していたが、最大の問題は軍資金が不足していたことだった。ところが、資金難に悩んでいた平野さんのことを聞きつけた、地元の経営者が資金を調達してくれた。

その理由は定かではないが、このことがきっかけで1956年2月に11坪の薬局が誕生した。当時の薬局といえばOTCを中心として化粧品、衛生用品、雑貨等々、いわゆる“よろず屋”として繁盛していた。ご多分に漏れず平野薬局も、さまざまな商品を取り揃えた“よろず屋”だったが、当時としては珍しい飲食店も経営もしていたという。

やがて平野薬局からサンキュードラッグに名を変え、本格的にドラッグストア経営に乗り出す一方、処方箋専門薬局の運営にも取り組むようになった。今日のサンキュードラッグでは、処方箋ビジネスのウエイトは高く、平野さんの先見の明は確かだった。

 

1950年代から1970年代に吹き荒れた安売り旋風

1956年といえば、九州にセルフサービス方式の食品スーパーが開店した年だ。生鮮3品も含む食料品と日用品中心の低価格路線に加え、ワンストップショッピングを可能にした店舗だった。

主婦の店・ダイエー薬局といった新しい業態としてスーパーマーケットも登場してきた。1950年代から70年代にかけて医薬品小売業界は、大量生産・販売による乱売旋風が吹き荒れていた。

異業種小売店の参入や大規模小売店の支店化策の強化といった競合店の増加を踏まえ、AJDの旗揚げに賛同する同志が増え、平野さんは「会員企業は単なる競争相手ではなく、自らが体質改善をして近代的な小売業として発展させよう」とことあるごとに呼びかけていった。(続く)

一覧に戻る