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【連載】10兆円産業化目指すドラッグストアの今昔物語⑤

VCグループAJD躍進の基礎を築いた石橋幸路さん(前編)

ドラッグストアの将来像を見据えた“先見の明”と

優れた“統率力”で組織拡大に貢献

 

1970年4月、年商1億円以上の大型店によってボランタリー・チェーン(VC)グループのオール・ジャパンドラッグ(AJD)が旗揚げされた。創設48年後の今では、総年商1兆円、総店舗数5,000超、医薬品小売業最大の協業グループとして君臨している。先見の明をもち、優れた統率力のある一人の人物によってAJDは船出した。今回は、ドラッグストアの将来像を見据え、創設当初の10年にわたりグループの総帥として陣頭指揮に立ち会員企業を成長に導いてきた石橋幸路さん(マルゼン創業者、当時代表取締役社長)をクローズ・アップする。

(記事=流通ジャーナリスト・山本武道)

 

1970年、年商1億円の大型店53社でAID旗揚げ1950年代から1960年代の医薬品小売業といえば、安売り旋風が吹き荒れ、また新規出店を阻止してきた薬局等の適正配置条例(適配)が大きな壁となって、積極的な店舗展開(支店化)が阻止され商圏の拡大もままならない時代。小規模薬局はもとより、大型店にとっても激しい生存競争が繰り広げられる日々が続いていた。

いつ資本力のある異業種企業が医薬品小売業界に進出するかもしれない状況下で、大型店の有志たちが集い、協業化への組織づくりが始まった。無論、地域で激しい生存競争を繰り返してきたドラッグストアが、ある日を境に同志となることへの軋轢はあった。

協業グループ結成への話し合いが、何度も繰り返し行われた。初代の本部長に選出され10年間、陣頭指揮に立つやがて、「小異を捨て大同に立った」大型店企業53社(総店舗数560店)によってAJDが創設されたのは、私が新聞社に入社した翌年、1970年4月23日のことだ。初代の本部長に選出されたのが、AJD旗揚げのまとめ役をつとめた石橋幸路さんだった。

石橋幸路さん

先見の明をもち統率力にも優れた石橋さんは、小売業経営者や製薬企業の幹部等々が、たびたび神戸の本社を訪れる、通称「石橋学校」の校長として多くの経営者たちから慕われていた。

「今までの小売薬業界のグループといえばほとんどが友人や知人を頼っていた運命共同体的なものだった。それではもういけない。これからはマーケットシェアの“点”と“線”を確保する組織が必要だ。“昨日の敵でも、今日は友”なのだ」

AJD創設直後、の石橋さんは、こう語っていた。

小売主宰によるVCグループのほとんどが共同仕入機構だったのに対して、AJDは創設当初から強い絆で結ばれた共同販売機構として飛躍を遂げていった。今も次世代経営者に受け継がれている「石橋語録」「理論より実践が大切だ。頭のなかで、どんなに素晴らしい画期的な企画を描いても、日の目を見なければ何にもならない。若人よ、理屈抜きで、まずは実行せよ」多くの若き経営者に呼びかけていた石橋さん。たくさんある「石橋語録」のなかから、幾つかをピックアップした。この言葉のもつ意味を噛みしめてほしい。

石橋さんが残した「石橋語録」

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