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【連載】10兆円産業化を目指すドラッグストアの今昔物語②

第2回新業態づくりに奔走した3人の経営者、その1・石田健二さん

すべからく、新しいことにチャレンジするには、“百聞は一見にしかず”である。机上論だけでは、生きた学問はえられない。自分の目で見て、聞いて、そしてスタッフに適切な指示を与える――この基本なくしては、企業の発展は成り立たない。成功した経営者の共通点は、まず自らが率先して取り組む考動派であることだ。最新情報を耳にしたことは、すぐに考動しチャレンジする開拓魂が要求される。東部から西部へアメリカの開拓者たちは、幾多の障害を乗り越えて、次々と未開の地を開拓。アメリカンドリームを実現させていった。日本の医薬品小売業の経営者たちも、果敢にドラッグストアという新しい業態づくりにチャレンジし成功した。そこで、今日のドラッグストアの礎を築いてきた3人の経営者を紹介しよう。1人目は、ハックキミサワ創業者の石田健二さんだ。

(記事=流通ジャーナリスト・山本武道)

 

60~70年代、ドラッグストアづくりに奔走した小さな店舗の店主たち

ドラッグストアという新業態づくりに奔走した経営者たちは、いずれも最初は小さな店舗の店主だった。しかし常に夢とロマンを持ち、新しいことに挑戦する気持ちは誰にも負けなかった。彼らは何度もアメリカ視察を繰り返し、今日のドラッグストアの礎を築いていった。

1970年、新業態づくりを目指す年商1億円以上の企業が大同団結した協業グループAJD(オール・ジャパン・ドラッグ)が旗揚げした。参集したのは、ハックイシダ(当時)の石田健二さん、千葉薬品の齋藤茂昭さん、マルゼン(当時)の石橋幸路さん、サンキュードラッグの平野清治さんら53社。初代本部長には石橋さんが就任した。

AJDは仕入れ機構の協業グループとは異なる共同販売機構として、第1号商品に花王の洗剤を売り、1971年に設立したAJD開発を通じ300商品501品目が提供された。翌年の1972年、AJDのモデル店舗として日本初のスーパードラッグ(ドラッグストアとスーパーマーケットとのコンビネーション)が千葉市作草部にお目見えした。千葉県を拠点とする千葉薬品のスーパーマーケット・ヤックスとの共同運営によるもので、グループ企業の人財養成、利益商品の開発など、スーパ-ドラッグを通じて、さまざまなノウハウが会員に公開された。

 

手本をアメリカに新業態開発に挑んだ石田健二さん

横浜の事務所で取材に対応してくれた石田さん

ハックキミサワは、個人経営の薬局・イシダ薬店をルーツとする。二代目経営者が石田さんだ。英語の教師を目指していた石田氏は、ある日、父親からイシダ薬店の経営を任されることになり急遽、薬科大学に入学し薬剤師となった。毎日、毎日、忙しい日々を過ごすなか、「これからは健康と美のニーズの高まりを受けた店づくりが必要」として新しい業態を目指した。

新しい業態の手本はアメリカ。再三の視察で、国民から圧倒的な支持を得て躍進していたドラッグストアのマネジメントと店舗展開ノウハウを学び、1968年に日本初のホームセンター型スーパードラッグストアをデビューさせた。

スーパードラッグの運営では、広いスペース内への商品導入に、ホームセンターを手がける企業にヒントを得るなど、常にアイデアを即実践し成功に導いてきた。東京の問屋で、数々の製品を仕入れ、店に戻る電車内で隣に座った男性客に、「こういう店をやっていますので、一度店を見に来ませんか」と声を掛けるなど人財をスカウントする一方、二度の合併劇を演じ、企業規模を拡大してきた。かつて石田さんが語った言葉が印象に残っている。

「ドラッグストアが社会的使命を果たすためには、生活者に支持され、選ばれる店づくりにかかっている。21世紀は、われわれが夢に見た理想のドラッグストアの新しい世界が待っている」

現在石田さんは横浜に事務所を構え多忙な毎日過ごしている。

ハックイシダはCFSコーポレーションとなり、現在ではウエルシアHDの傘下にあるが、創業当時の来店客を迎える温かい心と笑顔は、社名が変わってもぜひ受け継いでほしいと願っている。

(石田健二さんについての詳しい記述は、のちに詳細記事を掲載します)

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